作曲家としてのみならず編曲家としてもその才能を発揮したディアンスは、26曲ものシャンソンを編曲し、2冊の曲集および2枚の自演のCDを発表しています。そのなかでもとりわけ演奏される機会が多いのが、最も人気のあるシャンソンのひとつであり、「シャンソンの女王」エディット・ピアフの歌で有名な〈愛の讃歌〉です。日本でも越路吹雪をはじめ数々の著名歌手によってカバーされてきました。
ギターでは弾きにくい、原曲通りの変ホ長調で編曲されていますが、ディアンスは6弦を半音下のEフラットにするという珍しい変則調弦を用いることによって、オリジナルの雰囲気を活かしたまま、ギターらしい音響効果を引き出すことに成功しています。また最後に現れるテーマでは、ピアフの「ちりめんヴィブラート」を模したトレモロ奏法が一瞬聴かれます。
ラウンド・ミッドナイト(セロニアス・モンク)
さまざまなジャンルの作品の編曲を手がけたディアンスにおいて、ジャズというのはとりわけ力を入れて取り組まれたものでした。「マヌーシュ・ジャズ」の伝説的ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの〈ヌアージュ〉、スウィング・ジャズの代表格デューク・エリントンの楽団で演奏された〈A列車で行こう〉、ディジー・ガレスピーの代表的なナンバーであるビバップの〈チュニジアの夜〉、そして「モダン・ジャズの帝王」マイルス・デイヴィスの演奏により一躍有名になったセロニアス・モンクの〈ラウンド・ミッドナイト〉というように、60年代までのジャズの歴史をたどるように、さまざまなスタイルのジャズ・ナンバーを編曲していきます。そしてそれが単にクラシックギター用に「移されている」だけでなく、原曲の良さを活かしつつもクラシックギターならでは表現に「アレンジ」されていることが、ディアンスの編曲の手腕と各曲へのリスペクトがよく表れていると言えます。
〈ラウンド・ミッドナイト〉も〈愛の讃歌〉と同じく、6弦をEフラットに下げて調弦され、ギターは通常使われることがほとんどない変ホ短調で編曲されています。この曲は楽器・歌を問わず数々の著名ジャズ・ミュージシャンにより演奏されていますが、ディアンスは作曲者モンク本人による演奏をベースにアレンジを施しており、調も原曲通りとなっています。テクニカルで流れるようなメロディーラインと、モンク独特の自由なリズム感が同居したようなアレンジは、ジャズ・ギタリストたちによるカヴァーとも違ったこの曲らしい魅力を醸し出しています。
亡き王女のためのパヴァーヌ(モーリス・ラヴェル)
シャンソン、ジャズ、ブラジル音楽など他ジャンルの編曲が目立ちがちなディアンスですが、伝統的なクラシックギタリストたちと同じようにクラシック音楽作品も手がけており、ショパン、チャイコフスキー、サティ、ラヴェルといった作曲家のピアノ作品をギター用に編曲しています。すべてがピアノ作品であること、多くがパリで活躍した音楽家であることは、ディアンスの音楽観の表れのひとつとも言えるでしょう(同じように、パリで活躍したギタリストのフェルナンド・ソルを彼が敬愛していたことはよく知られています)。
原曲と同じト長調で編曲され、ギター独特の奏法などをほとんど使うことなくシンプルにアレンジされています。とはいえ、ゆるやかな曲のため聴いた印象では難しいパッセージは判別しにくいものの、かなり複雑な和音まで再現されており、弾き手には堅牢な左手の技術が求められます。和音に対する徹底したこだわりを持つディアンスの音楽性が垣間見える編曲作品とも言えるでしょう。
サウダーヂ第3番「バイーア州セニョール・ド・ボンフィムの想い出」
クラシックはもちろん、ジャズ、タンゴ、シャンソン、ロックなどさまざまな音楽を下地に作品を書き綴ったディアンスが、とりわけシンパシーをもっていたと思われるのがブラジル音楽ですが、最初期の作品《3つのサウダーヂ》(1980年)は、彼のバックボーンをもっともよく表していると言えます。
3つのなかでもずばぬけて人気のある第3番は、ディアンスと同世代のフランスのギタリスト、作曲家のフランシス・クレンジャンスに捧げられています。副題の「バイーア州セニョール・ド・ボンフィムの想い出」が表しているように、曲はブラジル音楽のバイアォン(バイヨン)のリズムを骨格として作られていますが、特殊奏法を積極的に取り入れたりロック風のハーモニーを使うなどしてユニークに仕上げられており、その後に核となるようなディアンスの作風が早くも聴かれます。序奏風の「儀式」、軽やかなメロディーが印象的な「踊り」、終わりに向けてよりエキサイティングになる「祭りと終曲」の3部からなります。
サウダーヂ第1番「エリオのテーマ」
クラシックはもちろん、ジャズ、タンゴ、シャンソン、ロックなどさまざまな音楽を下地に作品を書き綴ったディアンスが、とりわけシンパシーをもっていたと思われるのがブラジル音楽ですが、最初期の作品《3つのサウダーヂ》(1980年)は、彼のバックボーンをもっともよく表していると言えます。
陽気な主部とノスタルジックな中間部からなるシンプルな第1番「エリオのテーマ」はディアンスの師アルベルト・ポンセに捧げられています。副題の「エリオ」が誰なのか、はっきりと明示はされていませんが、作品内容から考えるとブラジリアン・ジャズの大家エリオ・デルミーロだと考えられます。またエリオがギターソロで演奏している〈ラウンド・ミッド・ナイト〉や〈オール・ザ・シングズ・ユー・アー〉といったジャズ・ナンバーは、ディアンスもかなり凝った編曲を遺しています。
サウダーヂ第2番「ショリーニョ」
クラシックはもちろん、ジャズ、タンゴ、シャンソン、ロックなどさまざまな音楽を下地に作品を書き綴ったディアンスが、とりわけシンパシーをもっていたと思われるのがブラジル音楽ですが、最初期の作品《3つのサウダーヂ》(1980年)は、彼のバックボーンをもっともよく表していると言えます。
ヴィラ=ロボスが得意とした「ショーロ」の形式で書かれた第2番「ショリーニョ」は、彼の夫人アルミンダに捧げられています。ディアンスらしい洒落たハーモニーとショーロ特有のリズムがほどよいバランスで組み合わされており、派手さはないもののの、ディアンスの音楽性を十二分に感じさせる佳作と言えます。
ハクジュ・パルス
例年8月に東京で行われている「ハクジュ・ギターフェスタ」の委嘱で書かれ、当イベントでプロデューサーを務めるギタリスト、荘村清志と福田進一のデュオに献呈、初演された〈ハクジュ・パルス〉は、エネルギッシュな主部と感傷的な中間部からなる6分強の作品です。冒頭からプラルトリラーの装飾音が強迫的に使われており、この一定の鼓動(パルス)が曲全体を支配していると言えます。交互に弾き合うアルペジオで始まる中間部は、ハーモニクスを多用しながら2台のギターが複雑に絡み合い、やがて感傷的なメロディーへと繋がっていきます。そして徐々に鼓動を取り戻しながら主部へと帰り、最後は弾(はじ)けるようにして劇的に終わりをむかえます。
ヴィラ=ロボス讃歌
第1楽章 クリマツォニィー
第2楽章 性格的でバッハ風の舞曲
第3楽章 アンダンティーノスタルジー
第4楽章 トゥフ
大人気曲の〈タンゴ・アン・スカイ〉や〈フォーコ〉などと比べると必ずしも演奏機会が多いとは言えない《ヴィラ=ロボス讃歌》ですが、ディアンスの作曲家としてのキャリアを考える上では非常に重要な作品です。本作とヴィラ=ロボスの《ギター協奏曲》《ブラジル民謡組曲》〈ショーロス第1番〉を収録し1987年にリリースしたディアンス自身のCDは、ACC(アカデミー・シャルル・クロ)のディスク大賞を受賞し、脚光を浴びることとなります。つまり、〈タンゴ・アン・スカイ〉とは違って形での、ディアンスの出世作と言えます。
溌剌としたパッセージで始まる第1楽章では、持続的に低音が鳴り響きます。これは機能和声的なオルゲンプンクトではなく民族音楽のドローンのような役割を持っており、同じ書法は本曲の終楽章でも聴かれます。のみならず〈カプリコーンの夢〉や《トリアエラ》といったその後の作品でも現れ、ディアンスの作曲技法を特徴づける要素のひとつだということがわかるでしょう。
主部と中間部を通してわずかなモチーフのみでミニマルに展開される第2楽章は、ブラジルらしいリズムの特徴をもった舞曲です。タイトルの「バッハ風(Bachianinha)」は正確に訳すと「小バッハ風」で、ヴィラ=ロボスの代表作《ブラジル風バッハ》を意識して書かれていることが示されています。
ディアンスは「言葉あそび」でタイトルを決めることがしばしばありますが、第3楽章の〈アンダンティーノスタルジー(Andantinostalgie)〉も、速度指定の「アンダンティーノ(Andantino)」と郷愁を意味する「ノスタルジー(Nostalgie)」を組み合わせたディアンス自身の造語です。これまでの楽章よりもメロディアスに構成されており、それほどテンポの遅い曲ではないにも関わらず、本曲全体の中で緩徐楽章のような役割を果たすことに成功しています。
第4楽章は、第1楽章と同じくドローンが曲の大部分で聴かれ、後半ではさらに畳み掛けるようにさまざまな特殊奏法が巧みに用いられてエキサイティングに締めくくられる、非常にディアンスらしい楽章と言えます。タイトルの〈トゥフ〉とは少年時代のヴィラ=ロボスの呼び名で、1997年に書かれた伝記『トゥフ、少年ヴィラ=ロボス(Tuhu, o menino Villa-Lobos)』(カレン・アシオリ/Karen Acioly)でも同様のタイトルが使用されています。少年のような活発さといたずら心にあふれた楽章、とも言えるのかもしれません。
トリアエラ
第1楽章 ライト・モチーフ――ブラジルのタケミツ
第2楽章 ブラック・ホルン――スペインがジャズと出会うとき
第3楽章 クラウン・ダウン――サーカスのジスモンチ
20世紀に入ってからのディアンスの代表曲のひとつである〈トリアエラ〉は、2003年に楽譜出版がされました。ギリシャ出身のギタリスト、エレナ・パパンドレウに献呈されており、パパンドレウはその後2004年に、この曲を含めたオール・ディアンスのCDをリリースしています。
この《トリアエラ》もディアンス自身の造語で、ギリシャ語で「3」を表す「トリア(tria)」と、多様なニュアンスを持つ言葉「エラ(ela)」を組み合わせたものです。「エラ」は状況に応じてさまざまな意味を持つため説明しつくすのは困難ですが、英語で言う「Hey!」(呼びかけ)や「Come on!」(催促/苛立ち)のような使われ方をします。そして同時に、「ela」は「彼女(女性を指す代名詞)」を意味するポルトガル語でもあります。各楽章のタイトルにも表れているとおり作品全体はブラジル音楽を意識して作られていますが、初期の作品群よりもよりディアンス自身の音楽性がより深化した形で表現されます。
ディアンスが敬愛した武満徹の名を借りた第1楽章は、静謐な和音とハーモニクスが効果的に使われており(それは武満が〈すべては薄明のなかで〉のような作品などで用いた書法でもあります)、ディアンスの鋭敏な音響感覚が発揮された楽章だと言えるでしょう。
第2楽章も言葉遊びで作られており、「ホルン」の語源であるツノ(horn)と、ヨーロッパのツノと呼ばれる「スペイン」、そしてジャズを得意とする黒人という、それぞれの言葉の複合的な意味合いがタイトルを成立させています。さらに作品の音楽的な内容としては、中世に中米にわたりその後ヨーロッパに逆輸入された舞曲「サラバンド」の要素なども取り入れられ、ラテンアメリカとヨーロッパの歴史的音楽的つながりが絶妙なバランスで表現されています。
第3楽章はタイトルでも使われているブラジルの音楽家ジスモンチのアルバム『シルセンシ』に影響を受けて制作されたと作曲家本人が語っており、また曲中は《ヴィラ=ロボス讃歌》でも使われたドローンが、より効果的に鳴り響きます。最後はカッティングやタッピング、パーカッション、そのほかさまざまな特殊奏法で華やかに締めくくられます。
群衆(アンヘル・カブラル)
もともとアルゼンチンの作曲家アンヘル・カブラルによりペルー風ワルツ〈誰も私の苦しみを知らないなんて〉のタイトルで作曲された本曲は、その後エディット・ピアフに〈群衆〉のタイトルで歌われてシャンソンとして有名になりました。ディアンスが編曲した26のシャンソン集のうちのひとつで、弾きやすいホ短調の曲であえて6弦をDに下げるという珍しい試みをしています。かなり原曲に沿う形でアレンジされつつも、ところどころギタリスティックな書法が顔を覗かせます。